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家族でのお別れ葬から永代供養墓へ ~ある家族が選んだ葬送~

今回は、お墓じまいや改葬とは違うのですが、最近あったこんな事例をご紹介いたします。

お父さまの葬儀を家族葬でおこなった社長の知人から、こんな相談が寄せられました。

「無宗教なので、僧侶を呼ばない葬儀を葬儀社に依頼して、家族だけでおこなった。父親は散骨を希望していて、葬儀社からも埋葬業者を紹介できると言われたが、他にどんな方法があるか」

 

おおざっぱに説明するとこのような内容ですが、質問者の方は「葬儀社を信用できない」という心理を抱いていたそうです。

 

無宗教葬儀で、家族だけのお別れ会のようなあらかじめ決まっていたプランだったそうですが、火葬場までの搬送費用が別途でプラスになり、思った以上にお金がかかったよう。

そのため、葬儀社にたいして不信感を持ち、うちに相談されたという経緯です。

社長が伝えたところによると、散骨業者も紹介できるが、決して安くはないこと。さらに、手を合わせる場所がなくなることを伝え、合葬になるが寺が管理している永代供養墓に納骨できることを教えてあげると、その手配の依頼をお願いされました。

無宗教なのに四十九日?位牌?

ちょっと意外だったのは、「四十九日までに納骨すればいいんだよね」と言われたこと。

無宗教なら、四十九日を気にする必要がないことを伝えたそうですが、ご家族は仏教用語でもある「四十九日」を意識していたそうなのです。

 

さらに、「家に父の位牌を置いておきたいので、戒名と位牌の名入れも僧侶にお願いしたい」とのことでした。

直葬に近い無宗教葬儀をおこなったのは、金銭的な理由があったのかもしれませんし、故人が散骨を望んだことからも、宗教的な儀礼を望まないことが伝わるのですが、最終的な埋葬の場面ではお寺の僧侶が納骨に立ち合い、読経をしてもらい、位牌を受けとるという形式となりました。

ご家族は、これからも節目に合葬されている永代供養墓にお参りにくる、とおっしゃっていたそうです。

宗教の教えよりも慣習を守りたい人々の心理

「無宗教なので簡素にしたい」というお声は、たしかに多く聞くようになりました。葬儀に関しても、家族のカタチによっては「直葬でいい」と言う声も耳にするようになったと思います。

今回の事例で感じたのは、宗教的な意義や意味は知らないけれど、それ以上に慣習として染みこんでいるので、どうせならばそれに倣いたい
心理があることです。

 

宗教儀礼は、核家族化もあり、どこかで途切れてしまってなかなか伝わらないが、慣習は簡単には消えない。

わたしたちは、気づいたらその狭間にいて、どちらの側の立場も理解できる面があります。

ある僧侶がこんな言葉を残しています。

「一般の人と僧侶との違いは、前者は死を受け入れて溜めるしかできないが、僧侶は読経をとおして祈りを放出できる。それが僧侶のあるべき姿だと思う」

宗教と慣習の狭間で揺れるのはわたしたちも同様で、つねにその狭間で何が最善なのかを考えながら、この仕事をしています。

祈りを必要とする人、供養をしてもらいたい人と僧侶をつないでいくことはもちろん、わたしたち自身がどちらの声にも耳をかたむけられる存在でありたいと思います。


ひとりひとりの「祈り」や「願い」は、それ自体は小さくて、確たるものではないのかもしれません。しかし、その小さなものが積みあがって、いつしか揺るぎないものとなる。

わたしたちが思う「祈り」や「願い」は、そんな存在ではないかと思います