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富山発東京行き 或るお墓伝記

文:メモリアルアドバイザー 砂田嘉寿子

2017年11月に、東京で会社を営んでいるNさまから、富山市営北代墓地にあるおじいさまのお墓を墓じまいしたい、とご相談がありました。


富山市には近い親戚がいないこと、またご自身の年齢が75歳を過ぎ、今後のことを踏まえ、年に一度墓参りに来ていた富山のお墓について、思いを巡らすようになったそうです。

 

あたたかくなる4、5月頃に富山に来て、東京に建っているお墓にお骨を移したいということで進めてきましたが、先日墓前法要をされて、お骨をお持ちになれるようにおまとめさせていただきました。

お墓じまいがきっかけで見えてきた「家族史」と「昭和史」

Nさまは、この墓じまいをきっかけに、富山から東京へ移った家族の道すじを辿るかのように、故人にまつわるエピソードをお話ししてくださいました。

Nさまがまとめた家族の法名と生年、没年。ここからも「昭和史」が垣間見える
Nさまがまとめた家族の法名と生年、没年。ここからも「昭和史」が垣間見える

このお墓が建てられたのは、昭和15年の6月。Nさまのお祖父さまが亡くなった年に、若くして逝った長男に代わり、跡を継いだその次男によって建てられました。

富山では染物業を営んでいたとのお話ですが、化繊が出てきたことで染物業を辞め、戦前には家族一同、東京へ移っています。

 

しかし、お墓は両親の生まれ故郷の富山に建て、そこに眠らせてあげたいという考えがあり、親より先に亡くなっていた三人の子どもの遺骨も一緒に納骨されていました。

 

このお墓には入っていませんが、先の大戦で命を落としたご家族もお二人いらっしゃいます。お一人は、このお墓の建立者でもある次男(Nさまの叔父)です。昭和20年3月10日、父が亡くなった4年後に東京大空襲で命を落としています。

 

もう一人はNさまの実父。彼はまだ幼いNさまと、お腹のなかにいるNさまの弟を日本に残し、ニューギニアのボイキンにて戦死されたということです。

「ニューギニアの戦い」Wikipediaより
「ニューギニアの戦い」Wikipediaより

ニューギニア戦線というと、フィリピン進攻を目指す連合軍と、それを阻止しようとする日本軍の決戦場とされ、昭和17年から終戦の昭和20年8月まで凄惨な戦いがその地で繰り広げられたことが知られています。

Nさまの実父が属していた隊で生き残ったのは、わずか一人だけ。他の戦死者と同じく、遺骨は見つからず、遺品として水筒が残されただけでした。

その水筒には鋭利なもので実父の名が彫られていたそうで、遺骨の代わりとして、後にNさまの養父(実父の兄・四男)が東京に建てたお墓に納められたということです。

富山のお墓には、ニューギニア・ボイキンの地の砂が入った
小さな骨壺があり、遺骨の代わりとして、幼くして旅立った兄弟のそばに安置されていました。

Nさまの養父が、その後東京で新たに自分たちのためのお墓を建立していることもあり、富山のお墓に入っているのは、祖父母とその子供たちで終わりとなっています。

 

のちに東京から分骨したとみられる骨壷もありましたが、これは両親の下で家族みんなで眠らせてあげたいという想いの現れかもしれません。

前の晩の大雨が嘘のような晴天に恵まれた5月の富山で、遷仏法要を終え、東京に運ぶお骨を前にNさまご夫婦の写真を撮らせていただきました。

年に一回の富山のお墓参りは、これにて最後となりましたが、また富山に足を運んで、墓地に寄りたいとおっしゃっていました。

昭和15年6月に、N家の最初のまもりびと(のちに東京大空襲で戦死)の名が彫られたこの墓は、その78年後の6月に解体工事に入ります。