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縁をつないできたお墓に「ありがとう」の想いをこめて

文:メモリアルアドバイザー 砂田嘉寿子

祖父の代からの檀那寺に法要をあげてもらいたい!

今回、北海道にお住まいのお客さまから墓じまいのご依頼をいただきました。
お父さまの代で富山から北海道へ移り、北海道で新たにお墓を建立しておられるので、そちらにお骨を移動させたいということでした。
富山には、このお墓と中に眠っているご先祖、そして幼くして亡くなったご兄弟のお骨が眠っています。

 

おじいさまのときからの檀那寺が富山市にあるので、そちらに法要をお願いしたいけれど、連絡がつかないので、いったんは私どもにお寺を紹介してほしいという話になりましたが、無事にそちらのお寺から連絡があり、墓前法要の運びとなりました。

 

法要前に、現ご住職とお客さまが、お互いに先代の、そしてご先祖やご親戚の話をしていらっしゃいましたが、長い月日が経つと、とうぜん家もお寺も代が移り変わっています。
しかし今回、このお墓をとおして、古くからのご縁がこうしてつながり、ご先祖さまに代わってお客さまが感謝の気持ちをお伝えされていたことに、きっとご祖父母さまは喜んでらっしゃるだろうなと感じたしだいです。

墓じまいに現れる「意思」

最初は、北海道という遠い地からということで、代理での墓前法要、そしてお骨をおまとめしての送骨をご検討していらっしゃいましたが、やはり富山に来県して、檀那寺にお参りをお願いし、法要をつとめ、そしてお骨をご自分でお持ちになりたいとお考えになったお客さま。

そこから感じたのは、まもりびと(墓守)としてのやりきろうという意思でした。

 

法要が終わり、持ち運びできるようにおまとめして差し上げたお骨をお持ちになり、お客さまは帰り際におっしゃっていました。


「顔がわかる親戚は、もうほとんどこの世にいなくなりました。今から、その一人であるおばさんの家に寄ってこようと思います」

 

少なくないご縁があった富山でのつながり。それは放っておけば、自然にうすれていき、いずれ消えていくもの。
ふるさとのお墓をしまおうと考え、行動することは、そこから始まった縁を再確認し、その縁を思い出させてくれることでもあります。

 

お墓と私たちの間には、忘れかけていたつながりが存在していたことを、富山の湿った風が教えてくれた気がしました。